仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

Doctor Ask Terminally Ill Kids What Really Matters In Life – Here Are Their Answers

このタイトルはLisa Natoliという人のメルマガで紹介されていた記事の見出しです。Doctor Ask Terminally Ill Kids What Really Matters In LifeーHere are Their Answers 医者が末期患者の子供たちに人生で何が大事かと尋ねたー子供たちの答えを以下に紹介します。

アラステア・マキャルパイン医師は生命を脅かす重篤な病気にかかっている子供たちの世話に日々明け暮れ、非営利組織ののPeads Palで働いています。マキャルパイン医師は最近、末期患者の子供たちに人生で一番楽しかったことは何だったのか尋ねることを決意し、彼らの答えをツイッターでシェアしました。

ツイートの中で彼はこのように述べています。「宿題として何人かの末期の小児緩和ケアの患者に、彼らの人生で楽しかったこと、意味があったと思うことを尋ねました。子供達はとても賢明なようです」

子供達の年齢は4才から9才の間で幼いとはいっても、人生を生きるに値するものは何かという質問に対して、彼らの答えは核心をついていました。

 

1. もっとテレビを見たいとか、インターネットをやりたいと望んでいる子供はいなかった

まず第一に:もっとテレビが見たい、Facebookをもっとやりたい、他の人と喧嘩するのが楽しかった、病院が楽しいと答えた子供は一人もいなかった。

 

2. 動物といる生活が楽しかった

多くの子供が自分のペットのことを話した。

「私はルーファスのことが大好き。ルーファスの鳴き声がおかしいから笑っちゃうの」「私はジニーが夜になると私のところにすり寄ってきて、喉をゴロゴロ鳴らすのが好き」

「僕はビーチでジェイクに乗ってる時が一番幸せだな」

答えている子供の性別は適当にイメージして訳したので、違っているかも知れません。ルーファスはたぶん犬で、ジニーは間違いなく猫だと思いますが、ジェイクは馬なのか大型犬なのか、もしかしたら大きな亀っていうこともあるかもと思いましたが、馬をイメージして訳してみました。

 

3. 子供たちは両親のことを愛しています

子供達の多くが両親のことを話し、たいていは両親に対する心配や気がかりがあると語っています。

「ママが大丈夫だといいんだけど。悲しそうに見えるんだもの」

「パパは心配すべきじゃないよ。だってまたじきに僕に会えるんだから」

「私が死んだら、神様がパパとママの面倒を見てくれますように」

ここも子供達の性別は不明なので、適当にイメージして書きました

 

4. 子供たちはアイスクリームが大好き

子供たちは全員アイスクリームが大好きと答えました。

 

5.  子供たちは本やお話が大好き

子供たちは全員本が好きで、特にパパ・ママにお話をしてもらうことが大好きです。

ハリー・ポッターの話は勇気がわく」

「私は宇宙の物語が好き」

「僕は元気になったら、シャーロック・ホームズみたいな偉大な探偵になりたいな」

 

6. 心配するのは時間の無駄

多くの子供が自分たちのことを(心配して)気にかけてくれる他の人たちのことを、心配する時間が少なくなるといいのにと願っています。そして自分たちのことを「普通に」扱ってくれる人を大切に思っています。

「私の本当の友達は、私の髪の毛が抜けても気にしないわ」

「ジェーンは手術後に訪ねてきてくれたんだけど、傷にも気が付かなかったのよ」

 

7. みんなビーチが大好き

多くの子供たちが泳ぐのが好きで、海辺が好きでした。

「僕は大きな砂のお城を作ったんだ」

「海に行って波があるとワクワクするの!目も全然痛くなかったわ」

 

8. 優しさは重要

子供達のほぼ全員が、他の多くの美徳よりも優しさが大切だと答えました。

「私のおばあちゃんはとっても優しくて、いつも私を微笑ませてくれるの」「ジョニーは僕が自分のサンドウィッチを食べなかったとき、自分のサンドウィッチを半分僕にくれたんだ。あれは良かったな」

「私はあの親切な看護師さんがいる時が好き。彼女は優しいの。それで、いつもより痛くなくなるの」

 

9. 笑いは最良の薬

子供達のほとんど全員が笑わせてくれる人が大好きです。

「あのマジシャンはすっごくおかしかったなあ!ズボンが落っこちて、僕は笑いが止まらなかったんだ!」「パパが変顔をするんだけど、私はそれが大好きなの!」

「僕の隣のベッドの男の子がオナラをしたんだ!ハハハ!」

笑いは痛みを和らげてくれます。

 

10. 子供達はおもちゃが大好き

子供達はおもちゃとスパーヒーローが大好きです。 

「私のお気に入りはプリンセス・ソフィアのお人形!」

「僕はバットマンが大好き!」(男の子たちはみんなバットマンが大好き)

「私が好きなのはテディーベアを抱っこすること」

 

11. 最高なのは家族で過ごす時間

最後に、子供達は全員家族といる時間が大切だと答えました。それよりも大事なものはありません。

「ママとパパは最高!」

「私のお姉さん(妹)はいつも私をギュッと抱きしめるの」

「私のママほど私のことを愛してくれる人は誰もいないわ」

 

最後に、マキャルパイン医師は重要な点を要約して調査結果をまとめました。

このメッセージを家に持ち帰ってください:

親切にしてください。もっと本を読んであげてください。

冗談を飛ばして。ビーチに行きましょう。あなたの犬をハグして。

特別な人に愛していると伝えてください。

これらのことが子供達がもっとしておけば良かったと思っていることです。そのほかのことは瑣末なことです。

 

あっ、それからアイスクリームを食べること。以上

 

参考までに下記のサイトから掲載(翻訳)しました。

nedhardy.com

夏のカマキリ・冬のカマキリ+・・・

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冬のカマキリ1

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冬のカマキリ2

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冬のカマキリ3

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晩秋の日影とクロ

晩秋が色濃くなるとともに虫たちの様子にも変化が兆して、カマキリも周囲の自然と同調するように草緑から枯れた色へと変化して、ほとんど影のようになった。

私たち人間が死ぬというと、とても大事(おおごと)のようになってしまうが、自然界のヒトビトはとても穏やかでナチュラル・・・そこには人間のように(愚かしく?)大騒ぎするような気配は少しもなくて、まさに自然に変化して消えていく。

枯葉が風に吹かれて、くるくると回りながら落ちていく様を眺めていると、妙に心が落ち着く。枯葉は植物にとっては死を意味するものだと思うが、そのエンディングはとても静かで、優雅で、風とともに少しずつ上がり下りしつつ、くるくると不規則な螺旋を描きながら大地へと還ってゆく。それが私もしくは貴方だとしたら、私たちはそれほど優雅に美しく終わっていくことができるだろうか?

土に還った枯葉は、やがて分解され土を豊かにし、新たな生命を育む土壌の一部となる。そこには少しの無駄もない。私たち人間が効率、効率と口角から泡を飛ばして大騒ぎする割には、貴重な地球の資源を貪り、人間自体が地球にとってのがん細胞のような存在に成り果ててしまっているのとは雲泥の差だ。

そのことに思い至ると、私たちは枯葉にすら恥じ入って、謙虚になって私たちの傲慢さをお赦し下さいと詫びなければいけないような気がしてくる。

そうは言っても、つい枯葉の美しさに見とれて、まだ詫びを入れたことは一度もないけれども。。。。

おまけは我が家の愛猫、クロ・・・本名はダダということになっているんだけれども、黒いのでついクロと呼んでしまっている。この近辺の草むらに出没している野良猫だったのをパンをあげたりしているうちに、我が家にたどり着いてめでたく我が家の家族になったラッキーボーイ・・・が柿の木の影(正確にはその中の物干しの支柱の影)と一体化しているところ。日差しが伸びて、柿の木の影も長くなって、部屋の外に出た黒猫がそこで日向ぼっこ。大好きな光と影、それもスッキリと晴れた朝には影も一層濃くて、おまけに黒猫まで絡んでくれて、写真は大したことはないけれども、うららかな秋の日のお気に入りの一枚☺️

キツネ その2 Honorable Closure

今日は朝からすっきりと晴れて、青空が美しい1日だった。

近所の公園の紅葉も澄んだ青空をバックに、紅や黄色が燃えるようで秋が深まったことを鮮烈にを感じた。(ここから一気に冬に向かう気配)

先月、キツネが庭から跳び出したところを見かけたという記事を書いて、そこから1ヶ月半以上経ってしまったが。。。

あれから数日後、いつもの朝の犬の散歩の時に、ジュリコ(我が家の愛犬)が家の裏の道路の溝のところに行って、溝の蓋の奥に鼻を突っ込んで中に入ろうとするので、蓋の下に入らないように引っ張るということが2、3日繰り返された。

雨の降った翌朝のこと、例によってジュリコが溝の蓋のところに行こうとした。今までは蓋の向こう側だったが、今回は手前(右側)の方に行こうとしたので引っ張ろうとした瞬間、溝の中に茶色の何か動物の毛らしきものが目に止まった。一瞬でそれがキツネだと判った。散歩の帰りに、そうっと溝に近づいて確かめたら、思った通りそれはキツネの変わり果てた姿だった。ジュリコが行きたがっていたのは、このキツネのせいだったのだ。たぶん前日の雨で、溝の向こう側からこちら側へと押し流されたのだろう。。。

ついこの間、庭から跳び出してきたのを見かけて、家の裏でもやかましく鳴いていたのに・・・もちろんそれが同じキツネかどうかは確かめようもないが、私は勝手にあのキツネだと思い込んでいた。

折角、友達になりたいなあ・・・なんておとぎ話のような夢を描いていたのに。あまりにも呆気なく、こんな結末を迎えることになるなんて・・・とすっかり気落ちしてしまった。

ともかくキツネの亡骸をそのまま放っておくわけにはいかないと思い、北勢獣医師会というところに、キツネの死体を引き取って死因を調べるとか、そういったことをしてもらえないかどうか問い合わせたところ、キツネは珍しい動物ではないのでそういう対象にはなっていないとの返事。(希少種であれば、研究対象として調べるらしい)確かに希少種ではないかもしれないが、私の個人的な感覚としては、里山に住むキツネもかなり希少なものになっているけどなあと思いながら、愕然としたのは、市役所に連絡したら燃えるゴミとして処分してくれますよという話。それでア、これはダメだと思い電話を切った。

キツネは燃えるゴミなんかじゃない。この里山で生まれ、死ぬまでの(たぶん)わずかの間、この山を住処としてきたかけがえのない命なのだ。それを事もあろうに燃えるゴミだなんて!と憤慨はしなかったが、せめてキツネが暮らしたこの山に還してあげたかった。10月18日、裏山の人がほとんど通らない場所に穴を掘って、そこまで白い布を被せたキツネをとりあえずビニール袋に入れて運んだ。(もちろんビニール袋はゴミとして家に持ち帰った)土を被せて、その上から他の動物が掘り返したりしないように、木切れを重ねて載せてこんもりと盛った。セイジを焚いて、キツネの霊が無事光のもとへと還れるように祈った。出会いから別れまで、呆気ない幕切れとなってしまったが、最後を見届けて埋葬できたことは、ある意味得難い経験でもあり、見送ることができて良かった。

 

ここで私が学んだHonorable Closureについて触れようと思う。

Honorable Closure(オノラブル・クロージャー)

私たちが愛した存在がこの世を離れるのを経験することは、心が痛む悲しい出来事ではあるが、セレモニーを行うことで、あちらの世界に旅立つ自然界の存在と人間の両方に癒しをもたらすことができる。

その対象が動物であれ、植物であれ、縁のあった存在に対してその生命(いのち)が終わった時に、その生命がこの世に在った時に、いかにこの世界を美しく彩り豊かで楽しいものにしてくれたかということを、愛と感謝とともに讃えてもとなるspiritの光りのもとにスムーズに移行できるように送り出すという儀式。(相手に対する敬意や愛情があれば十分で、決まった形式があるわけではない)

その出来事が今でなくても、Shamanic Journeyは非日常の世界なので、時間の枠に縛られる事もなく、たとえ10年前でも20年前のことであってもhonorable closureを行うことができる。それによってセレモニーを行う人間の側にも癒しがもたらされる。この世にある生命にとって、死は避けがたいものである以上、私たちが経験するのは死や別れの悲しさだけではないはずで、その存在と触れ合ったことが人生を豊かで美しいものにしてくれたことも思いだす必要がある。

この家に住み始めてから23年間、ずっと犬・猫と共に暮らしてきた。今も我が家には犬と猫が2匹ずついる。

私にとって動物に死なれるのは、極端な話かも知れないが人間に死なれるより悲しくて辛いことで、それは動物が人間のように話をする生き物ではないことと関係があるかも知れない。彼らが何も言わず(とは言っても主張はしているが、それはともかくとして・・・)気がつけばそばにいて見守ってくれている存在だからかも知れないと思う。

そんな私にとってHonorable Closureという儀式は、過去の悲しみを癒してくれる大きな助けにもなったし、同じように動物に対して愛情深い友達の助けにもなった。

過去を辿れば、これまでの人生で遭遇した動物(おもに犬・猫)にまつわる悲しみや後悔、何もしてあげられなかったという苦い思いなど、完全に消え去ってはいない思いが点々と残っている。彼らに対して改めて愛と感謝を送ることで、私自身のスピリットが清められることのメリットは大きいものだった。

*Honorable Closureに適当な訳語を見つけるのが難しい。日本語にしてしまうと、例えば名誉を讃え(輪を)閉じる儀式としてもピンとこないし、別れの儀式、葬別の儀式としても何か違うような気がするので、そのままhonorable Closure(オノラブル・クロージャー)と呼ぼうと思う。

*Honorable Closureは例えば、切り開かれて大量に伐採された木々や、森の中でただ徒に切られて放置されたままになっている木のような植物に対しても行うことができる。それによって自然界の存在に多少なりともリスペクトの気持ちを送り、それを見たことによって傷ついている自分自身の気持ちを癒し、自然界との相互の関係を修復していく働きがある。

 

台風一過・虫の声

台風19号が日本列島を通過。

台風が紀伊半島に接近中の12日の午前中のこと。

雨はまだそれほどきつくなく、どちらかと言えば優しい降り方だった。

家の横の農道を歩いている時、雨の中で虫の声が聞こえてきた。

雨の中では普通、虫たちも静かにしているものと思っていたが、

休む暇も惜しいのか、命の短さを知ってか・・・

静かに降る雨とそれに調和するかのようなひっそりとした虫の声に、

しばらく足を止めて聞き入った。

一瞬、心がしんと静かになった。

その後台風は夕方頃に、伊豆半島方面に上陸したらしい。

台風通通過後の吹き返しの風が吹き荒れていた深夜、

草むらの中では、虫たちがもう鳴き始めていた。

虫のような小さい生き物たちが、こんな大きな嵐の時に

どうやって身を守りながら過ごしているのだろう?

妄想の中で細い草の裏側に必死につかまって雨を避けながら、

大風に揺すぶられているバッタのような虫の姿が浮かんだ。

 

翌朝、家の裏で風に吹きちぎられてボロボロの糸くずみたいに

なった蜘蛛の糸に、必死でつかまっている蜘蛛を見かけた。

かなり大揺れしていて、なかなかアクロバティックな様子だった。

(私はクモさん頑張ってるなあと思いながら通り過ぎた)

 しかし、雨の中で聞いた虫の声にはそんな必死さは微塵もなく、

心の静寂さを呼び覚ましてくれるような音色だった。

 

人間は台風だ怪我だ病気だと事あるごとに一喜一憂し、災いから身を

守るためにはこれこれが必要で・・・そのためにはあれとこれだけでは足りず、

あれもこれもやらなければ・・・と喧騒の中を闇雲に生きている。

聞こえてきた虫の声は、小さな虫たちが降りしきる雨の中でも

自分の歌を歌って、自然に委ねきった心そのものを生きているということを

私に知らせてくれた。