仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

夏の醍醐味 〜水遊び〜

石水渓

立秋を過ぎて、お盆を前にツクツクボウシが鳴き始めました。暑さが続く中にも夕方になると吹く風がどこか涼しくなって、季節の暦の確かさにはいつも驚かされます。

今年の夏は東京に住んでいる娘と子供たちが、夏の真っ盛りの8月1日に帰省して来ました。目的のひとつは津市にあるフリースクールを見学することで、もうひとつの、多分、こちらが本命の目的は川や海に遊びに行くことでした。娘たちの滞在中、結構雨にも降られたので、毎日水遊びという訳にはいきませんでしたが、それでも何とか川に1日、最後の日に海へとノルマを果たすかのように、1日ずつ川と海での水遊びを堪能しました。

これまでも数えきれないくらい何度も、海にも川にも行き、その楽しさを十分に味わってきたはずなのに、なぜか今年は格別の感触があって、水は生き物なのだという生(なま)の感覚を味わいました。

家の近くに石水渓という春には新緑を楽しみ、夏には水遊びと、自然を満喫するのにもってこいの場所があって、その石水渓で子供たちと遊ぶのに程よい場所を、近所の知り合いが教えてくれて、まるでプライベート・ビーチのように私たち家族と、教えてくれた知り合いと彼女の小2になる息子さん6人だけで、ゆっくり過ごすことができました。

浅すぎず深すぎず、流れも程よくある場所で、まずうつ伏せの状態で顔を水に浸け、そのまま身体の力を抜いて、流れに流されるままにただ浮かんでいる。次に仰向けになって、同じように浮かんで漂う。わずか数メートル流される間のことながら、その僅かな間、頭の中が水音だけになる。いつもは頭のお喋りが止まらない私も、流石にその時だけは無の境地(に限りなく近い状態)になれました。

かつてはもっと泳げるようになりたいとか、ハワイ島で出会ったヒーラーの人がイルカは活発で慌ただしいけれども、海亀とはゆったり泳げるので楽しくて、太平洋をどこまでも泳いだ、なんていう話を聞いて、ああ私もいつかハワイの海で海亀と一緒に泳ぎたいとか、海に潜って色とりどりの魚たちやイソギンチャクや海藻が揺れる世界を味わいたいなどと、やたらに憧れまくったりもしたのですが。。。(その為にはスイミングに通って、ちゃんとした泳ぎを身につける必要があると考えたことも^^;)

ところが、この間、川遊びに行った時は、何もせず、ただ全身の力を抜いて、水に浮かんでいるだけ、ただそれだけで十分。あれやこれやの思いが抜け落ちて、流れに委ねるということを体感しました。そして、まさにこれこそが生きた瞑想なんだと思い至りました。

座禅を組んで、第三の眼を意識して瞑想するなんていうことも、中途半端にやってみたりしてはいたものの、何か行き着くところに行き着けないようなもどかしさを感じていました。ところがところが、川に浮かんでいた時は、全く努力なしで無心の境地に至れることが分かって、こんなにダイレクトな瞑想法が身近なところにあったんだと再認識しました。

昔、「おさかなになったワ・タ・シ〜」とバスタブの中で女の子が歌っているコマーシャルがありましたが、おさかなになるって、まさにこういうことだったんだねっていう感じです。

(昨年、水屋神社に行った時に、神社の裏を流れる櫛田川の川岸で、川の流れに乗って、川を下って行く鯉を見て、太極拳か気功のマスターのようだと感じたという記事を書いたことがありました。パラダイス・タイム(水屋神社) - 仙人草の咲く庭で

解放されるっていうのは、こういうことだったんだ。

知っている人は、とっくの昔に知っている当たり前のことだったのかも知れませんが、私にとってはまさに目から鱗の、おさかな体験でした。

もちろん、その体験のためには、その川が浅すぎず深すぎず、ちょうど良い速さの流れであることという、川が安全で不安を感じるような要素が一切ないという条件付きではありますが。

そういった条件さえあれば、気ら〜くに全身の力を抜いて、川の流れにすべてを委ねることができます。水恐怖症でない方には超お勧めの水遊び瞑想です。

出来ることなら毎日でも水遊びをしたいくらいですが、同じ場所でも雨で増水したり、自然は同じまま留まってはいないので、たった半日くらいの僅かな時間でも貴重な体験ができたことを歓んで、感謝したいと思います。

*水遊びをした日(8/3)、その日の写真を送ってもらったので、記事を投稿した時に使った何年か前の石水渓の写真と差し替えました。川に浮かんでいたのは、この場所の少し先のところです。