仙人草の咲く庭で

犬と一緒に散策する里山スケッチ。自然界のさまざまな存在や、見えない世界へと誘われる心のスケッチ、モノローグ

自分で決める part 3

ジョコビッチ選手が自分の考えを表明する際の、

淡々としていて謙虚でありながらキッパリとした、自分はこの考えを

変えるつもりはないということがハッキリと見てとれる潔い態度。

今まで名前をウッスラと知っている程度だったのが、動画を見てから、

急転直下、尊敬に変わりました。

ここまで毅然としているのは、自分の道を生きるということについて

しっかりした考えがあり、明晰な方なのだと思います。

(もうほとんど武士のような「道」を生きている人に見えてきました)

プロなんだから、それくらい当たり前と考える人もいるかも知れませんが、

みんながみんなそうだとは限らないでしょう。

それにつけても思うのは、ワク◯◯に限らず、自分の人生、進む道について

自分自身の選択を明確にし、その選択を揺るぎないものとすることは、

何よりも大切で最優先されるべきこと、当然のことのはずですが

私自身どこまでできているだろう?

そこに至るには直感は言うまでもなく、しっかりと内省することや、時には

瞑想なども必要な過程になるかも知れません。

安易に人のアドバイスを求めすぎていたり、有名なヒーラーやカウンセラーと

呼ばれる人や、占いなどに委ねたりしてはいないだろうか?

参考意見を尋ねることは良しとしても、自分ではない外側の権威、

つまり人の手についつい自分自身についての判断を譲り渡してしまっては

いないだろうか?

これは決して上から目線で語っているのではなく、右往左往しがちな

自分自身への問いかけ、反省でもあります。

誰が歩くのでもない、自分が歩く道を自分で決める、

それは当然そうあるべきことで、基本中の基本であるはずなのに、

その大前提が私と同様、危うい人が多いのではないだろうか?

そんなふうに観じます。

毎瞬毎瞬、怒涛のように押し寄せる情報の波に揉まれながら、

自分のものと呼べること・ものを見つけるのは、

ますます困難なことになってきているのかも知れない、とは思います。

それなら尚更、自分を見つめ、大地に根差し宇宙とつながるかけがえのない存在

としての、自分の生きる道を見つけるための時間、エネルギーの方向づけが

必要だなと感じます。

(自分で書いていて、ちょっと気恥ずかしくなってきました💦)

言いたいことや、書きたいこと、付け足したい枝葉がドンドン出てきて

言いたいことが何だったのか分からなくなってきました。

キリがないし、くどくなるのでこの辺にしておきます。

 

シンプルに言うと、折角この世界に生まれてきたのに、

ただただ世間の波に流されるだけの人生は嫌だなって感じです。

使命というほど大袈裟なものではないけれど、

何かしらの自分らしさみたいなものを保って、自分の人生の舵取りが

できたらいいなあ。

足元をはっきりと照らす光をしっかりと持っていたい、

目覚めていたいと感じます。そう言えば、

ブッダが涅槃に入る前に、弟子たちに最後に残した言葉として、

「自分自身の光を導き手としなさい」と言ったとか、言わなかったとか。。。

(アレこれが言いたいことだったかなあ?何だったかなあ??いまや謎???)

悪しからず💦 またこれだったということを思い出したら、

改めて書こうと思います。(多分、思い出さなさそう💦💦)

ここまで長々と私の迷走に付き合ってくださった方、有難うございます。

またの機会に。